ジャーナリストの限界(未満)

大野病院がらみで面白い記事が出てくるが、これはさすがにアレじゃないかと思った。


本澤二郎の社会評論「医師の刑事訴追」 - 「ジャーナリスト同盟」通信

福島県立大野病院の産婦人科医による医療過誤事件で福島地裁は、2008年8月20日問題の医師に対して「過失はなかった」と判断し、無罪の判決を言い渡した。この医療刑事判決について「被告が福島県という事情から無罪判決は予想されたことであった」と直感した。

いや、県と病院に見放された医師(個人)が不当逮捕されたという話(改めて考えると酷すぎるな)なんだが・・・
地方自治体が被告になってるとは思いもよらないファンタジーである。

筆者はこの事案の専門知識などない。経緯も知らない。しかし、医師会が無罪判決に喝采しているであろうことは、とりたてて想像しなくてもわかる。

何でこんなことを堂々と言い放てるのか理解に苦しむ。
「ジャーナリスト同盟」のくせに専門知識や経緯を調べないというのは何だろう。
事実ではなく思い込みで記事を書くだけならまだしも、大いに宣言してどうする。

言及するまでもない。注意義務違反は刑事訴追の対象である。当たり前の近代法原則である。医師だけ過失から免責という法理論などありえない。

ジャーナリストとしての注意義務に欠けているのもどうかと思うぞ。


まぁ「医師失格」なんてタイトルで出版してるくらいだから、医療関係者に対してかなりのバイアスがかかっているのは容易に想像できるのだが。
ジャーナリストの肩書きは自慢ではなく自制と自省のためにこそ必要なのだと思う。
政治家とゴルフしてたとか吹聴するのはジャーナリストとしてはむしろ恥ずかしいのではなかろうか。




ついでながら、この記事↓も素人臭くて味がある。

本澤二郎の社会評論「TOTO水洗便所と水問題」


最後に、一般論として言わせてもらうが
正直で声の大きいバカ
はネット上の付き合いに留める分には楽しいかもしれない。