毎度おなじみの「マッチポンプ」毎日新聞の記事より

医療クライシス:がけっぷちの産科救急/2 引き離される母子、深刻

ようやく見つかった搬送先は、100キロ以上離れた長野市の病院だった。05年11月、切迫早産になった前橋市の会社員の女性(32)。まだ妊娠24週で、超未熟児で生まれてくる赤ちゃんを助けるには、NICU(新生児集中治療室)のある病院へ運ぶ必要があった。
かかりつけの産婦人科や群馬県立小児医療センターが、埼玉や栃木、東京の病院まで探したが、どこも「満床」。長野の病院が見つかるまで3日もかかった。「全国どこでもいいから」と医師に頼むしかなかった女性は、受け入れ先が決まった時、「助かった」と思った。だが、遠くの病院へ運ばれたことが、出産後に大きな負担となった。
女性は病院近くでアパートを借り、生まれた女児が退院するまで長野で暮らすことにした。「遠くに離れたら心配だし、1秒でも一緒にいたい」。母親なら誰でも思うことだが、前橋の自宅と家賃を二重に払う生活で、週末などに長野を訪れる夫の新幹線代などもかかる。150万円ほどあった貯金は、すっかりなくなった。
平日は知らない土地に自分一人で、そばに相談する相手もいない。体重812グラムで生まれた女児は人工呼吸器が必要で、生後2カ月には未熟児網膜症の手術。不安で一人涙した日もあった。
女児は昨年3月に退院し、順調に育つが、女性は「妊婦も家族も不安にならず、過重な負担もなく出産できるようになってほしい」と願う。

酷な話ではあるが、これぐらいは「ありがちな話」だと覚悟を据えなければなるまい。
100kmとはいえ群馬⇒長野ならしょせん隣の県。
広域連携がさらに進めば富山とか山形くらいまでは充分射程範囲だし。


問題提起はいいが投げっぱなし。
即効性のある対策がどこにもない以上は
「リスクはありのまま受け入れろ」
ぐらいの事を言ってもいいくらい。


ワタシに当事者意識がないからこんな醒めた事を平気で言えるのだと自覚はしているのだが。


気を取り直してワタシにも降りかかる内容をば。


終末期医療:「延命」より「緩和ケア」 後期高齢者の骨子案提示、診療報酬を手厚く

厚生労働省は4日、08年4月にスタートする後期高齢者医療制度の診療報酬体系骨子案を、社会保障審議会の特別部会に提示した。終末期医療について、患者本人に「希望する診療内容」を書面で示してもらい、容体急変時の対応をあらかじめ家族に伝えていた場合には、診療報酬を手厚くすることを検討材料に挙げている。患者の意思を確認したうえで、医療費を押し上げている延命治療を減らすことを意図したものとみられる。
後期高齢者医療制度には75歳以上の人全員が加入する。骨子案では、留意すべき事項として医療費抑制方針をにじませている。
新制度加入者は「この制度の中で死を迎える」としており、痛みの緩和ケアを促進するため、医療用麻薬の管理方法を患者や家族に指導した薬剤師への報酬を厚くすることも挙げた。
このほか、診療報酬の加算を検討すべき事項として、(1)外来で主治医が患者の病歴、服薬状況、他の医療機関での受診状況を一元的に把握し、患者を総合的に評価できている(2)介護、福祉サービス提供者と連携し情報を共有している−−などを列挙し、開業医を主治医とする在宅医療の推進を強調している。【吉田啓志】

診療報酬の加算に関しては、それが継続的に行なわれるかどうか甚だ疑問。
数年でなかった事にされれば、それまでの努力が水の泡になり経営への影響もバカにならない。
信頼できる長期計画は「医療費抑制方針」だけなので、とりあえず常に最悪の方向を考えておけば失望感は味わわずに済む。


さて、こうなると「いかに安く死ぬか」を心がけねばならない。
ワタシの理想の死に方は60過ぎにガンをこじらせるというパターンだが、これは「いつ終わるか」予定を立てやすいので後始末とかその辺に便利。
自分の死によって他人に責任を負わせる死に方を避けて通れるなら、多少の痛みは受け入れよう。


ついでにもう一つ。


医療事故:検事が現場学ぶ研修制度本格化

医療事故を巡る刑事事件の捜査や公判に役立てようと、検事が大学病院に出向いて医療現場を学ぶ研修制度が本格化している。一昨年から始まった試みだが、今年は研修生を大幅に増員し、7月上旬、全国から検事20人が二つの大学病院での研修に参加した。法務・検察幹部は「医療現場の感覚を取り入れて真相の解明に生かしたい」と期待を寄せる。
(中略)
福岡高検検事長の飯田英男弁護士の調査によると、医療事故の刑事事件は99〜04年で79件。戦後、99年までの判明分は137件で、近年増加傾向だ。だが専門性が高い医療事故の事件化は、医療関係者から疑問視する声が出たり、無罪判決が出る例もある。

「死ねばミス」という感覚の非道さを司法側で理解することの意義は大きい。
裁判という勝ち負けを目的とした土俵の上に乗っかる時点で、「真相を知る」(ないしは「受け入れられる真相を作る」)という目的からは遠ざかるのだが。
ま、ベストよりはベターか。