思いつきの羅列(4):ロボットはいつでも世界の真ん中に

2問まちがえた。
  ロボットアニメタイトル当てクイズ100問
「破邪巨星ダンガイオー」はGの後先に迷ったのだが、「宇宙のステルヴィア」に関してはロボットアニメという認識がなかった。


てな感じでロボットアニメの輪郭線というものがますます曖昧になってくる。
とりあえず急がば回れ的発想でロボットアニメの流れを反芻してみよう。


厳密には、ロボットアニメという「ジャンル」の始祖は「鉄腕アトム」ではなく「マジンガーZ」である。


まずアトムの時代には、アニメというカテゴリー内でのジャンルが未分化であった。
無論アトムが最初のTVアニメであり、同年に鉄人28号がオンエアされた時点でもアニメ作品数自体は少なく、
"TVアニメ"というひとかたまりのものに過ぎなかったのは仕方のない話である。
ジャンル区分するのに充分な数が揃ってくには70年代まで待たねばならない。


次に、70年代前半から"ロボット"キャラの玩具化が本格化することで、作品世界をより触覚的に共有できるようになった。
キャラクター商品によるライセンス料で制作費を都合する構造はTVアニメの始まった当初からのものであるが、
ロボットの王国(MouRa):第4回 進化するデジタルヒューマン」によれば

たとえば『鉄腕アトム』の当時は、キャラクター商品といっても、主流はキャラクターそのものの商品ではなく、キャラクターを他の商品にプリントしたプリント媒体が主だったのである。
(中略)
いわば「番組に登場するロボットがそのままスポンサーの主力商品」とも言える巨大ロボットものは、当時かえってアニメーションのビジネスモデルとして安定感を醸し出していたという。

60年代のキャラクタービジネスに関しては通じていないので(71年生まれなもんで)言及できないが、
ワタシの物心付いた時には既に、関節が動いたり(首と肩だけだが)パンチが飛んだり(すぐなくなる)といった特徴がロボット玩具のデフォルト条件となっていた。
そうした意味でエポックメーキングなのが「マジンガーZ」である。


70年代に幼少期を過ごしたワタシの感覚では、「ジャンル意識」と「商品としてのロボットの押し出し」が
「ロボットアニメ」の前提であり、「ロボットアニメかくあるべし」という認識の根っこである。


とは言え、子供もやがて大きくなる。
「購買層としての子供」を強く意識したアプローチに対し、何らかの違和感を覚えずにはいられない。
制作サイドもその辺を踏まえた対応をしてくるのだが、結局は玩具から映像ソフトへとビジネスモデルが移行するに至る。

ただ現在は「ロボットが出てくれば、そのままOK」ということにはならない。
作品をつくる手段としてのロボットは、間違いなく昭和から平成に入ったぐらいのところで一段落していると思います。
ロボットの王国(MouRa):第11回 ロボットアニメと時代

昭和末期〜平成にかけての経過を改めて掘り起こす必要があるようだ。


(余談)
SFセミナー「高橋良輔インタビュー リアルロボットの向こう側」レポート(5月7日;Impress RobotWatch)
高橋監督の生の言葉に基づいているのかどうかは不明だが、実にまあ心にひっかかる記述。

宮崎氏の世界観ではロボットは真ん中ではない。
だがサンライズ作品では、ロボットが真ん中にないといけない。