あきらめないだけじゃなくて

同年代だけに注目せざるを得ない。

巨人の木村拓也コーチが死去…意識戻らぬまま - YOMIURI ONLINE

図抜けた才能は無くとも努力を続けることで自分のポジションを確保する、万人の手本となるスタイルである。
その点に異論を挟む余地はないのだが、実際のところ、あきらめないだけで済むほど甘くは無い。

NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容 - Yomiuri Giants Official Web Site

ファイターズでの2年目。

2年目に、一軍にけが人が多く出ました。二軍の野手が一軍に呼ばれて、二軍監督から外野を守るよう言われました。試合に使ってもらえるならと外野手をやり、まず第一歩を踏み出しました。そしてファームで1番を打っていた選手が米国に野球留学し、他はけが人も多く「1番がいないから、お前が打て」とコーチに言われ、何て運に恵まれているんだろうと思いました。そして9月、一軍にけが人が多く、初めて一軍に上がりました。結局、2年目は3本ヒットを打ちました。

カープを経てジャイアンツに移籍。

「トレードに出してください」と球団にお願いしたのですが、決まったのが(戦力が充実している)ジャイアンツ。「出番を求めているのに、何でジャイアンツなんだろう」と思いましたが、入団してみると、けが人が続出してチャンスがもらえた。


何人ケガしたら気が済むのか。



それにしても、こうした引きの強さと努力の両輪で19年も現役を続けた人物が、引退するなりかくもあっけない最期を遂げるというのが人生の不思議である。


合掌。