人魚姫の夢、もきゅ

交響詩篇エウレカセブン ポケットに虹がいっぱい』テアトル梅田にて。
とりあえず、先にグレンラガンを見ておいて正解だった。


17歳教団が垣間見たネバーランドには見覚えのある月が浮かんでいて、
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物語を紡ぐ行為がいつのまにか「止まった時間」=「終わった物語」を追いかけることに転落してしまう危うさみたいな。
そうしてみると“神話”“ファンタジー”という言葉の含む深さは安易に語るには実に手強い。


ラストシーンで言葉を失いながらも何事も無いように太陽の下に佇むエウレカの姿に「そっか、人魚姫が人間になったんだ」と連想した。
夢の中に行きそこねたピーターパン達とは対照的に、夢の欠片であった人魚姫は大きな覚悟と代償を経て自ら夢見る存在となる。
夢見ることの痛みを乗り越えてこそ、夢は力となる。そういうメッセージなのかもしれない。


余談だが、夢から来たもの(イマージュ)が雲になって消え去るのは、人魚姫が海の泡となって夢へ還る姿の置き換えなのだろう(Air in Water=Water in Air)。