伝統とか歴史とか

ワタシの地元で「第十九回早雲まつり」なるイベントが行われたらしい。
北条早雲が備中荏原(現在の岡山県井原市)出身という事ででっち上げたイベントで、回数から逆算すると第一回が執り行われたのはワタシが大学進学のため故郷を後にした春である。
道理で先日まで聞いたことが無かった訳である。


早雲の一族の住んでいたとされる高越城址には行ったことがあるが、正味ただの山なので散歩コースくらいにしかならないという印象を受けた。
よくもまぁこんなものを観光につなげようとするものだと、地元衆の努力に感嘆する次第である。


さて、ワタシが先日購入した海音寺潮五郎「武将列伝 戦国揺籃編」(文春文庫刊)に北条早雲についての記述が有るが、現在最有力である(そして祭りの根拠となっている)備中出身説については一言も書かれていない。
上記書籍の初版は75年の刊行で、おそらくこの頃には備中出身説が主流ではなかったのだろう。


一介の素浪人が徒手空拳で伊豆一国を支配し、しかもその活躍時期が老年期を中心とするという小説的としか言い様の無いサクセスストーリーが語られているが、そうした潤色を好む向きからはむしろ出自不明というのが望ましいのだろうか。
(実際には幕府の意向を受けて派遣されたエージェントっぽく、おまけに世間的な通説よりは年齢が一回り若かったそうな)


桶狭間が周到な奇襲作戦ではなくて“結果的に奇襲”という風に検証されたのと同様に歴史の様相は時代時代でコロコロと変えるものである。
早雲まつりも油断してると古くからの伝統行事にされてしまいかねないし。