犬も食せば骨に当たる

犬肉販売サイト、抗議に耐え切れず3カ月で閉鎖朝鮮日報;7月4日)
ウェブ魚拓

このニュースを見て、4月頃に犬食について書こうとした(結局まとめきれず流したが)コトを思い出した。
そのきっかけは

なぜ韓国人は可愛い犬を食べるのですか? - Yahoo!知恵袋

回答欄をつらつら見ると「犬食=悪」という質問のトーンに対して批判的なものが多い。
個人的には衛生・コスト・味に問題がなければ「好きにしたら?」と言いたい。
あるいは、チャンスがあれば一度(ブリーダーをやってらっしゃるマイミクの前ではとても言えないが)。


結局のところ、天漢日乗さんがこの件についての記事で引き合いに出した中国の諺に行き着いてしまうのだろう。

うちの犬は可愛い、ヨソの犬はおいしい

「世界中の犬=うちの犬」と思っているヒトがやたら多いだけで。


さて、犬食について4月の時点で書き損ねた理由は、
  犬のステータスが欧米とアジアで何故こうも異なるのか
についての考察できてなかったためである(今出来てるわけでもないが)。


西洋社会では古くから麦作と牧畜が強い相互依存関係を有していた。
農法が未発達だったため麦作の収量が今とは段違いで低く、充分な収穫を得るには広大な農地を利用する必要があった。
人間の耕作力には限界があるため、必然的に家畜の力を利用することになる。
また、食肉によってカロリーを補填するという意味合いもあり、牛・羊の牧畜は不可欠であった。
そうした状況の中で犬という生き物は番犬・放牧犬としての有用性を示した。


一方、東/東南アジア〜南洋諸島では温暖・多湿な気候により穀物生産(米作)・漁業・採集によるカロリー確保が比較的容易だった(あるいは、牧畜向きの気候(牧草が食べやすい程度にしか育たない)に恵まれなかったという言い方もできる)。
従って、西洋に比べて犬の位置づけが必然的に低く、犬肉を食べることへの禁忌感も抱きにくい文化的背景がこの地域で出来上がったのだろうと思う。
それに加え、麦作より収量効率の良い米作の北限(≒梅雨前線北限)よりもさらに北のエリア、つまり中国・朝鮮半島の北部に関しては南方に比べ食肉によるカロリー補填を積極的に必要としたので、犬食の頻度が高まったのではないかと。


ここまでの流れは「肉食の思想」(著;鯖田豊之)に基づくのだが、19世紀以降のアジアの西洋化や愛玩動物についてどう踏み込んだものか迷ったので4月の時点では結局ボツにした。

肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))

肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))


果たしてこの先に踏み込むべきだろうか?