幸せとは何ぞやと

昨夜は会社の同期の連中と飲む。
何故か話題の4割くらいはワタシのヲタ話。カタギ衆にはワタシがどのようなシングルヲタライフを送っているのか興味津々の様子。社員寮で一緒だった頃もプライベートは全然見せないようにしてたので、最近になって口先だけカミングアウトするようになったぐらいでは満足できないようだ。見せた所でワタシの得る所はいっさい無いが。
しかしワタシも久しぶりに酔って不用意な発言を繰り返す。入社10年経ったので6日間の有給が貰えるが使い道が無いなー、てな話をしてた時に「そうだ、地方のメイド喫茶を回ろう!岡山から攻めて九州まで」とか言ってしまって大いに後悔。
そのうちに如何にワタシが幸せかという話題に持って行かれる。自分の好きなモノに囲まれ、何の責任を負う事も無く、面白おかしく生きている“贅沢な人生”というイメージがすっかり定着しているようだ。
違いはしないが。
ただ、ワタシの幸せとはむしろ現状肯定の上手さに起因するのではと思う。不満は抱えない(てゆーかあきらめてかかる)。大きな成功を期待しない。今よりも満たされた“本当の自分”なんて居る訳がない。物事は突き詰めて考えない。
だから自分が幸せだと簡単に言い切れる。幸せなんて言った者勝ち。


酔い覚ましに姫路城まで夜桜を見に行く。この光景を友人と共に楽しめる幸せは得難いものである。
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