必要を問うならば

SF小説を語るのに全てのSF小説を読む必要はあるか? - ハックルベリーに会いに行く

「語る」ために必要な条件を議論する以前に、「語る」行為が何故必要なのだろうか。
何もSFに限ったことではないが。

全部押さえてなきゃダメだよなという、それがSFファンとして正しい、SFファンとしてふさわしいよなぁという、自意識というか、ブライドもしくは義務感みたいなものがあって、守っていたルール、暗黙のルールみたいなものがあった。
岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』第6章より)

SFファンを標榜する以上はある程度の読書経験が共通言語として必須であり、そこには共通言語を介して「語り合う」行為が前提になっている。
ただ「ダメだよな」「ふさわしいよなぁ」という岡田氏の書き方が、その前提が成り立つ領域の狭さを物語っているように思える。
語ることへの欲求は感覚的に理解できるが、その先がぼやけてしまうのは仕方のないことだろうか。



それはそれとして、SFを本気で語るにはSF以外をどれだけ読み込んでるか重要だとも思う。