敢えて言おう、解像度なんて要らないと
友人がPCの買い換え悩みボヤきまくっているのだが、今度はハンディカムの買い換えまで口にし始めた(てゆーか、日記に書き始めたのだが)。
2児の父親である友人は、当然ながら独身のワタシに比べると並々ならぬビデオカメラへの執着心(無論、子供を撮るため)を持っている。
その上、スイッチの接触や液晶の調子が良くないというハード的な要因が揃っているので、運動会/学芸会が来るまでには買い換えておきたい状況。
編集も考えるとPCも同時に買いたいところなのだが。
さて、友人の日記に対して
画質にこだわらなければ20万くらいで片付かない?
とコメントしてみたが、世の父親たちに“画質にこだわるな”という言葉はどれ程通じるのだろうか?
軽くググってみると、こんなサイトを見つけた。
HDビデオカメラで撮ろう!〜わが子を“キレイ”に10年後もみるために!〜
10年後のことを想像してみてください。
大画面のハイビジョン(HD)テレビが普及し、ソフト等のコンテンツはハイビジョンが当たり前になっている。
おそらくゲーム機の世界も当然そうなり、映像はさらに高画質になっていることでしょう。
そうした映像を見慣れた子供たちが、自分達の撮った映像をみてどのように感じ、思うでしょう。
そう考えれば、もはやこれから選ぶビデオカメラは「フルHD」ビデオカメラ以外に選択肢は無いと思います。
10年後の“普段の映像”に見劣りしないようにと考えれば、確かにフルHDは必須と言えなくもないが。
ただ、この論旨には「子供たちが10年後にその映像を観る」という大前提がある。
自分の子供の時のビデオを、大人になって観たがるだろうか?
むしろ観たがるのは子育ても仕事もリタイアして余生を過ごす親の方じゃないだろうか?
「耄碌した年寄りの目にフルHDなんぞ無駄無駄無駄ぁっ!」とまで言うと角が立つが。
むしろ、あまりに見え過ぎない方が思い出としては美しくないだろうか?
心理的なフィルターで充分美しく見えないだろうか?
画面の粗さがかえって時の流れの重みを感じさせてくれるのではなかろうか?
“安かろう悪かろう”で妥協しなさい、と言ってるような感じがしなくもないが。
とりあえず友人氏には、スペックを論じる以前に“いくら出すか”決める果断さを期待したい。
蛮勇こそが今の彼に必要。
ちなみに、ワタシはこれまで4台のPCを購入したが、その際のコンセプトは
・最新のmacを買う
・6万で買う
・小さいmacを買う
・5万で買う
・・・ううっ、蛮勇だのう。